2019年!新年明けましておめでとうございます。


新年明けましておめでとうございます!と脳天気に言っていますが、実はレミケード倍量投与をした3日後の12月28日に非常にお腹が痛くなりました。イレウス!と言うような激痛ではありませんが、何をやるにしてもいちいちめんどくさくて横になっておきたい痛さでした。実は会社行事で12月31日から元旦にかけて伊勢神宮参りが予定されておりまして。それまでになんがなんでもマシな状態に持って行かなくてはなりません。29日と30日はほぼ絶食で過ごしました。31日も朝にうどんを1杯だけ食べて昼から集合場所の近鉄上本町6丁目の駅に向かいました。




白鶴酒造資料館へ行く、明石で明石焼きを食べる。


11月の終わりに慰安会ということで1泊2日で兵庫県へ行ってきました。大阪から行ったら隣の県なんですが、近場で一泊と言う事で。1日目のスタートはお決まりの白鶴酒造資料館の見学です。大正初期の酒蔵を再現されていると言う感じでしょうか?、ただここに来るのは3回目なような気がする。入館料も無料だし、きき酒とかが出来るので観光のルートの定番なんですね。お腹の調子も微妙ながら慰安旅行は乗り切れそうな感じです。




レミケードから3週間目の体調がイマイチなんです。


11月05日にレミケードを受けてそれから20日間ほど経ちますが。なんかお腹の調子がイマイチなんです。いつも痛くなる部分は大体は右下腹部なのですがどうも右上が微妙に痛いのです。朝起きた時がそこそこ重苦しくて調子が悪いです。寝込むほどの痛みにはなりませんが、微妙に痛いような重たいような感じに悩まされております。もしかしてクローン病の病勢がイケナイ時期に入ったのでしょうか?でも体調はそんな感じですが週の半分は関東でホテル暮らしです。




慰安旅行へ行ったり、猫を追いかけまわしたり


ここ2週間ですが、一瞬、クローン病の調子が崩れましたがゼンタコートでなんとか持ちこたえております。変わらず関東方面へ出張やホテル生活をしておりました。休日は猫を追いかけまわしたりしていました。




国際物流総合展に行って茨城で飲まされる。


09月11日から15日まで関東方面を徘徊していました。クローン病の調子が良いのか悪いのかはわからないような微妙な感じです。要は何と無くお腹が重いと言う感じです。と言うことで11日朝一番の新幹線の乗って東京へ向かいます。




レミケード64回目、倍量投与やんぴ8回目-インフュージョンクリニック通院


無事に1週間の出張も終えてようやく09月03日に診察とレミケードです。お腹は痛くないもののなんとなく下痢っぽいし血液検査の結果も良くないだろうなと想像していたのですが、なんとCRP0.00でした。確かに体感的には調子は良くないのだけどデータ的には緩解!。ほんとクローン病って良くわかりませんね。クローン病ってそんなものなのです。血液検査の結果と体感は必ずしもあいません。すっごく調子がいいぞ!と思っていてもCRP3.2とか普通にあります。そんなものです。



下痢はプレドニンで抑えて、東北を乗り切った


26日日曜日は東京から岩手に移動します。やはり朝から下痢気味でゼンタコートを飲んではいるのですが下痢にはイマイチですね。よし!ここは禁断のプレドニンだ!ってことで朝のゼンタコートはやめてプレドニンを2錠(10mg)飲みました。さて岩手に向かうか。と言うことで西葛西駅から東西線で大手町へ向かう。




下痢にも負けず神楽坂へ行く


24日は茨城の事業所で会議でしたが、お腹がイマイチ、会議を何回も中座してトイレへ行く。でも会議の冒頭に「私は本日下痢です」宣言をしているので、そんなにおかしな空気にならない。おまけに下痢中は会議の輪から離れてトイレで冷静に課題の打開を考える。そして会議に戻って「今、下痢しながら一案出たのですが、このようなアプローチはどうでしょう?」とか。それを繰り返しているうちにトイレに立ったらみなさんの期待値が上がるのが辛い。トイレから帰ってくると。「どうでした?出ました?」とか聞かれて。「下痢がなかなか出そうで出なくて辛いです」て答えると、「下痢じゃなくてこの課題の結末」。やはりクローン病で生きるのはそんなに簡単じゃない。そうそう簡単にうんこと案は同時に出ません。と言うこと会議を終わらせ夕方に東京へ向かう。

今日は西葛西で泊まるので南流山駅経由で武蔵野線、東西線と渡って行きます。




レミケード切れの中で出張して来ました。まずは茨城へ


23日から30日まであちこち駆け巡って来ました。何が問題か?それはレミケード前で微妙な下痢で不調の中であったこととと08月30日のレミケードに行けなかったことです。だから今もなんか微妙な体調です。梅田、茨城、東京、岩手、梅田と廻って帰って来ました。


朝起きて堺市から梅田へ向かう。なんかいきなり調子が悪い!。ヤバい在来線が運休を始めた。北陸行きのサンダーバードは昼一を最終に運休。梅田で会議を一発すませて台風から逃げるように昼過ぎの新幹線へ飛び乗りました。早く茨城県にたどり着いてホテルでゆっくりしたい。




26日のイレウスからの翌週は1週間の出張でした。


08月になったら少しは猛暑もマシになると言っていた気がするのですが、気のせいだったのか聞き間違いだったのか。暑いですね。相変わらず関東方面で過ごしていることも多いですが、やはり大阪よりは幾分マシな気がします。07月20日は東京は八重洲をウロついていました。茨城県での会議が長引いて東京駅に着いたのが23時前でした。この日はお腹の調子も何となくイマイチっぽいのでコンビニでおにぎりでも買って東京の夜でも過ごそう。




湘南海岸へ脱水症状になりに行く。


14日朝起きたら外は既に30度Cオーバー!。ホテルの窓から外を見ると夏全開!「やはりこのまま大阪に帰ろうか。。」と一瞬は躊躇しましたが。「夏は海だ!」って勢いだけで藤沢行きの電車に乗る。「暑い!」35度Cは既に超えているであろう七里ガ浜をビジネススタイルで出張道具一式のキャスターバッグを引きずって歩いていました。水着やビキニで歩いている人、サーフボード片手に海へ向かう人、そんな人達に紛れてカメラ片手に熱中症になりに行きました。




茨城行って夜中に東京へ戻る。暑くても負けないぞ。


07月09日と10日に岩手県へ行って、11日の夜から茨城へ向かいました。10日にそのまま茨城県へ東北新幹線で向えよ!って話ですが、11日に大阪で会議があるので一旦は帰阪です。お陰様で大阪、東京間は通勤感覚で距離を感じなくなりました。11日は夕方に山陽新幹線の相生駅で人身事故があったらしくことごとく博多方面からの新幹線が遅れていました。私は新大阪発を予約していたので「指定列車が来ない!」と言う悲劇は今回は免れました。溢れた人で他の車両はすごいことになって居ましたが、脳天気におにぎりを食べながら東京に向かいました。