連休中は結構食べました。いや食べれました。クローン病患者にとっては好ましくないものまで食べました。2007年の手術後もちろん食べることが出来ましたが、再燃を恐れてそこそこ厳しい食事制限もしていました。しかし2009年の明確な再燃(再燃は恐らく術後から始まっていただろう)とともにさらに食べることは出来くなりました。そしてレミケード投与開始とともに食べれる自信が出てきたように感じます。
時事戯言!炎症性腸疾患!クローン病!(潰瘍性大腸炎)闘病ブログ
ナイスなクローン病闘病記(食事とかレミケード,日常生活なブログ)
連休中は結構食べました。いや食べれました。クローン病患者にとっては好ましくないものまで食べました。2007年の手術後もちろん食べることが出来ましたが、再燃を恐れてそこそこ厳しい食事制限もしていました。しかし2009年の明確な再燃(再燃は恐らく術後から始まっていただろう)とともにさらに食べることは出来くなりました。そしてレミケード投与開始とともに食べれる自信が出てきたように感じます。
昨日の夜はお腹が痛かったけどロキソニン飲んで寝た。朝起きたらずいぶんマシ。ヤッタ。下痢だけど。お!この程度の痛みなら旅行は計画通りにこなせるぜ!でも朝も昼も夜も食べれないけどな。
ということで2日目は保津川下りへ行った。
下痢で心配だったけど。酔い止め飲んだから。酔い止めは腸管の動きを抑制するので下痢の時にはいい具合です。
今頃かい!っていうツッコミはなしで。(^^
2008年はなんとかどうにかこうにか無事で生きれました。まず感謝!
今年もよろしくお願いいましす。
昨日は社員旅行と言うことで、滋賀県は近江八幡市へ行きました。
クローン病ともなると社員旅行もなかなかと厳しいものがあったりします。観光バスで行けばトイレ問題。また旅行と言えば必ず「食」がつきます。また「自分たちでお好きにどうぞ!」と言うわけにもいかず。あらかじめメニューも決まっていますよね。もちろん「はい!うどん一杯ね」なってはならず。豪華絢爛な食事がつきものですよね。はぁ〜参ったね。
それでは張り切っていきましょう!
西堀栄三郎探検の殿堂で南極体験をしてきました。マイナス25度の世界を体験できます。約10分の体験コースなのですが、7分間は南極昭和基地前を想定しており、そこで7分間の間に時々ブリザードが吹いたりします。
風が吹くと寒い。。デジカメも3枚程とったあたりからシャッターの反応が悪くなり、作動不能になりました。やがて昭和基地のトビラのランプが赤くなり昭和基地の前室マイナス5度に入りました。マイナス5度Cといえ温かい!デジカメを復活しました。
昨日は天気も良かったしクローン病のお腹も比較的安定してたので大阪府岸和田市の蜻蛉池公園へ行きました。公園で遊ぶには良い季節になりました。空気もなんとなく微妙に冷たくて。クローン病の父親の課題として「急遽、クローン病悪化、体調激変」で行けなくなって子供達に残念なおもいをさせることもあります。だから体調の良い時は出来るだけ出て行くのがベストです!。と言いたいのですが休日はできるだけ体調を温存しておきたい!と思ってしまうこのジレンマ。
長男小学6年生が中学生になればテニス部に入るかも知れないと言いだしました。私は12歳からクローン病で調子悪くなる25歳あたりまでテニスをしていました。私が昔に元気な頃にラケットを振っていた親父の姿を覚えてくれていたのでしょうか。
今日は会社で所属している団体の総会で滋賀県は雄琴に来ています。少し時間があるので旅館からモバイル投稿と言うことで。
雄琴温泉と言うと男性や一部の女性の方には少々怪しげな場所と想像されてしまうことはありますが、内容は至って真面目な会合です。1990年のバブル景気の頃はこのあたりも一大歓楽街だったのでしょうね。
その頃は、会合も終わり懇親会も終われば、接待費やなんやらで会社の経費で女性のところへ遊びに行く構図が見えます。今はそんな時代ではありませんのでこのあたりも寂れていると言うか、細々とやっていると言う感じですね。
泊まりがけで出張ですが、クローン病の調子も安定していますのでなんとか普通にこなせています。お腹も痛くないし、下痢もしていないので。
08月10日から始まったお盆休みもあっと言う間に終わってしまいました。さて月曜日からは出社です。これで長期連休は年末年始までしかありません。
秋になれば会社関係で色々な行事があるので体調を整えておかなくてはならないし。この盆休み中も絶食をしなかったので明日からは絶食体制に戻さなくては。。。
さて月曜日からフルで一週間。。がんばりましょう!
お盆と言えば墓参りってことで、父母の墓参りへ行きました。
(2001年に父を2002年に母を亡くしました。)
私の父は次男坊だったので私が建てる墓が初代分家墓になります。本当はすぐに建てるつもりだったのですが立地条件や場所の問題でずるずると延ばしていました。あまり遠いと疎遠になっても困るし、同じ堺市内だと蜂が峰になるのですが、そこは巨大墓地の密集地なので墓参りシーズンは大渋滞になるそうです。 2006年に同じ堺市内に公園墓地ができるということで少々割高でしたがそこにしました。2007年に開眼法要をしました。
狭山市、富田林市とのちょうど境目の場所でPLの花火がよく見える場所で両親は仲良く眠っています。
そして開眼法要も終わり間もなくクローン病による急性腹膜炎、敗血症で手術そして死にかけました。危うく墓穴を掘ったと言われそうでした。なんとか今年も元気にお墓参りができることに感謝です。