無事に一般病棟へ移動-クローン病 手術070416


ICU個室に4日間ようやく血小板の数も上昇して回復した。良かった!死ななかったようだ。クローン病では死なないけど合併症では死ぬことがあるんだ。と認識しました。

色々な数値も安定したので一般病棟へ移動出来た。しかし、廻りがうるさい。創口の痛みに触る。この時期は会社も好景気で年収も1000万円届くか!?とか言う感じだったので、躊躇なく看護師に個室に移動させて欲しいと要望した。
(その後2008年のリーマンショックで年収半減。。超貧乏となる。)


個室へ移動

ベルランド総合病院個室-時事戯言!炎症性腸疾患(クローン病)やはり個室は快適である。特定疾患受給者票で公費負担してもらっても結局室料差額で退院時に結構支払わなくちゃならないので特定疾患受給者票意味ないじゃん。ですが。室料約10,000円一ヶ月入院したら30万円かぁ。まぁいいや。

播種性血管内凝固症候群-えっ!俺死ぬの?-クローン病 手術070414


ベルランド総合病院ICU-時事戯言!炎症性腸疾患(クローン病)
さらに状況悪化、腹膜炎から敗血症になり播種性血管内凝固症候群になった播種性血管内凝固症候群とは簡単に言ってしまえば出血箇所のみで生じるべき血液凝固反応が、全身の血管内で無秩序に起こる症候群である。ガンガン血小板が使い果たされていき、適切な処置をしなければショック症状となり死亡する。

血小板輸血

ICUでフラフラな私のもとに執刀医が来て、状況を説明してくれた、今からICU個室に移って、血液の透析と血小板輸血をすると告げられた。ICU個室に移り酸素マスク、股関節の血管から透析。
家族にはさらに危険な状況でこの状況になると10人中4人は亡くなられると説明されていたようだ。

えっ!俺死ぬの?

いやいや生きているからこうしてブログ投稿出来るんだ。よかった。

急性腹膜炎の術後→汎発性腹膜炎→敗血症-クローン病 手術070413


汎発性腹膜炎→敗血症になった、少し危険な状態である。家族には、一応危険な状態と説明していたようだ。私は意識がボーッとしながら創口が痛いなぁとか眠れねぇ~とか思っていたが、自分が危険な状況とは感じなかった。

チューブだらけ

少しずつではあるが意識はしっかりとしてきた。するとある程度、自分の体の状況が見え出した。そういえば、体がチューブだらけである。

お腹からのドレーンチューブ3本
尿管チューブ
鼻からのチューブ
IVHのチューブ
腕からも2本くらい出ている
指にも何か巻きつけてある。。
身動きできない。でも身動きすると痛いのでやはり動く気もなし。


手術の創なんだから

手術の創なんだからこれを乗り切れば後は楽になる。今が痛みのピークだろうから根性で乗り切ってしまえと考えていた。まさか敗血症になって危険な状況でなりかかっているなんて思ってもいませんでした。

急性腹膜炎の緊急手術が終わる-クローン病 手術070412


準備やなんやらで手術室の入ったのは04月12日の明け方だったと記憶している。麻酔医に今から麻酔導入しますから「マスクを口にあててください」言われた瞬間、正直ホッとした。これで眠れる、この苦しみから解放されるんだ!と

クローン病が悪化!急性腹膜炎で緊急手術-クローン病 手術070411


病院へ運ばれて、腹部単純レントゲン、CT検査等を済ませて、腹部単純レントゲンではあきらかに腸閉塞像が出ているで即入院。まずは内科の病室に入り横になっていた。


内科医師が来て

内科医師が来て今の状況を説明してくれた。イレウスチューブを入れるかどうかはCTの結果を診てから判断すると。腸閉塞なのでとりあえず2週間は入院して腸管を休めましょうと。イレウスチューブは嫌だけど、この痛みから解放されるなら何でもいいや。と内科医師と話している時に救急医師がCTの結果を持って来た。。

救急車で病院へ-さらなるクローン病悪化!-救急070410


朝になっても腹痛は治まる気配はありません。と言うかだんだん酷くなってくる。とりあえず会社は休むことにした。もう会社へ行くとか行かないと言う次元ではありません。とにかく痛い。クローン病ってここまで痛いのか?


チキンラーメン で激しく腹痛


チキンラーメン

※ チキンラーメン 記事をリメイクしました-2022/09/26

チキンラーメン

そこそこ調子が良かった時、無性に チキンラーメン が食べたくなって、チキンラーメンを食べた。まぁ普通に食べれたしやはりエレンタールやラコールのような甘い系栄養剤ばかり飲んでいる私には刺激的な塩味で非常に美味しかった。調子乗って月に何回か食べるようになった。

2002年から2006年の総括-クローン病闘病


2002年にクローン病確定

2002年の腸閉塞でクローン病と確定してから、エレンタールでの食事制限を本格的に始める。
お腹がイマイチになって来たらエレンタールのみで絶食する。また通常は1日1食にしてエレンタールを1日5袋(1500Kcal)飲む。
この日々の繰り返しである。


この間は入院もすることなく過ごせた。もちろん突然に腸閉塞になって寝込むこともあったけど、エレンタールも飲まずに絶食して寝ていたら痛みは治まって来た。痛みが治まって来たらエレンタールを開始して行く。それでなんとかなっていた。

3回目の腹痛と腸閉塞で緊急入院2002


ゴールデンウィーク

ゴールデンウィークに初日の夕方、激しい腹痛がいきなり襲った。1995年、1996年に腸閉塞で2回入院しましたがそれを上回る痛さ。我慢の限界で病院へ行く。腹部単純レントゲンでそれはそれは素晴らしいニボー像です。「はい腸閉塞!入院確定
これでゴールデンウィークは全て入院で消費しました。それどころかゴールデンウィークが終わっても退院はできずそのまま会社は有給休暇。

潰瘍性大腸炎にしてはおかしい

潰瘍性大腸炎にしては度重なる腸閉塞はおかしいと言うことで、小腸の検査等を受ける。クローン病特有の検査結果でした。
「潰瘍性大腸炎じゃなくてクローン病ですね」となると予想したのですが
なんと「大腸は潰瘍性大腸炎で小腸はクローン病ですね」稀な例です。と言われた。同じ炎症性腸疾患だ。もうなんでもいいや。

1997年から2001年の総括-クローン病闘病


潰瘍性大腸炎の治療

1997年から2001年は潰瘍性大腸炎の標準治療をしていた。サラゾピリンもペンタサに代わりました。潰瘍性大腸炎の症状である下血や激しい下痢も落ち着いている日々が多かったです。しかしクローン病の症状はしっかりと出ていて、時折、腸閉塞の痛みに寝込んだり、原因不明の高熱が出たりしていました。その時は自主的に絶食をして当時出されていたエンシュアリキッドと夕方に脱水症状を避けるために点滴をしに行くだけでなんとか乗り切れていました。

クローン病を疑い始める

2000年にもなるとインタネットでそこそこ情報がつかめるようになるし、当時はブログシステムのようなものはありませんが、その前身のようなもので「電子日記帳」とか「ホームページ」がありました。クローン病や潰瘍性大腸炎の人が闘病記録を公開し始めたのもその頃です。当時はクローン病とか潰瘍性大腸炎の患者数も少なくて孤独に病気と向き合っていました。もちろん私もその一人でした。患者同士のコミュニケーションが始まりました。「みんな同じような病気で悩んでいるんだ!」と勇気づけられました。私が独自ドメインをとって自分の闘病記録を始めたのもこの頃でした。

1996年の総括-クローン病闘病


潰瘍性大腸炎元年

1996年は難病宣告元年です。

当時は内視鏡検査、生検を含めて、潰瘍性大腸炎と診断されました。
ゆくゆくはクローン病に診断は変わります。

クローン病も疑われたのですが直腸粘膜とS状結腸の粘膜に炎症性細胞が浸潤→杯細胞が減少→陰窩に炎症性細胞(陰窩膿瘍)があります。
よって病理上は潰瘍性大腸炎です。
当時の主治医も私の直腸からS状結腸の内視鏡を見てどう見ても潰瘍性大腸炎の粘膜だと言います。よってクローン病は否定された訳ですが、ここで小腸造影等をしていれば小腸の末端部になにがしかの病変は見えたのかもしれません。もう少し深く食い下がっていれば良かったかも知れません。

潰瘍性大腸炎と確定診断される


大腸の検査の結果

潰瘍性大腸炎」と診断される。

1.直腸からS状結腸あたりまでの連続した病変
2.陰窩膿瘍の検出
3.直腸の潰瘍からの出血

これらを判断して、病理検査で陰窩膿瘍が検出されましたので病理的には潰瘍性大腸炎の診断となります。クローン病では非乾酪性肉芽腫が病理検査で鑑別できるのですが、非乾酪性肉芽腫が鑑別されませんでしたので潰瘍性大腸炎となります。特定疾患に指定されていて現代医学では完治はありません。

直腸・S状結腸型

現在の状況は直腸・S状結腸型の潰瘍性大腸炎です。このまま上部へ進行しなければ積極的な治療はせず、サラゾピリンや食事制限で様子を見ましょう。それでも進行するのであればステロイド等の治療が必要になってくる。とのこと。